だれでもわかる 義仲のヒミツ
●第1回義仲って言うと・・・ ●第2回義仲の意外な真実 ●まだまだ続くよ

西川かおり

当サイト管理人。長野県出身。
へタレ漫画家。
丸先輩

西の高校の先輩。
動物を得意とするスーパーアシ
義仲のことはほとんど知らなかった。


第3回 義仲の「木曽」はどこの木曽?〜消された名字の地〜



そういえば、町村合併で、丸子町や真田町も上田市になるらしいよ。

えー本当ですか?
最近合併が多くて、県外に住んでるとわけわかめなのですが、丸子が上田に?
じゃあこれからは、「木曽義仲の居城・依田城があった上田市出身です」とか、名乗っちゃおうかなー
「真田氏のふるさと、上田市出身です」とかー(笑)
まーそれは既に言いまくりか〜。
真田好きの人って結構多いからちょっとうれしかったりするのよねー(笑)

ほんと、市町村合併やそれに伴う土地の改名は理にかなっているのでしょうけど、歴史を調べてるものとしては複雑な心境のシロモノなのですよ。
今回は、そんなことも多少関係ある、お話です。
  …知ってる人は知っている、だけど、あんまり公になっていない、義仲の最大のヒミツ(?)を語ってみようと思います。

えー何?

んーと。武士の名字というのは、自分が住んでいた土地から取る…というのは知ってますよね?

うん。だから、長野だと「真田氏」とか「諏訪氏」とかがいるのよね?

義仲の周りの人たちももちろんそうなんですよ。ただまー字名なので、見つけにくいんですが。
樋口=辰野町樋口 今井=松本市今井 根井=佐久市根井 楯=佐久町館
小室=小諸市諸 手塚=上田市手塚…などなど。
長野駅の周辺は栗田って地籍なんですが、義仲軍勢に栗田氏がいます。

へー長野駅のあの辺に武将…面白いね。「長野氏」じゃないんだ(笑)

いや、当時は駅無いですから…(笑)

だけど、 逆のパターンもあるわけですよ。 実は、石川県にすごい町がありまして、「義仲町」って言うんです。

え?石川…?西川さんの脳内に「義仲町」?

え?私の脳内にあるのは「義仲国」っすよ先輩。ってちがう!!
石川県に「義仲町」というところがあるんです。

…まさか義仲って本当は石川県出身?

いやいやまさか(笑)
この「義仲町」は、3つの町が統合する時に、「義仲にゆかりがあることだし「義仲町」ってどう?」って 盛り上がって、決まったようですよ。1999年のことです。

えー!?いいの?

住民がいいといえば。セントレアだって決まりそうな勢いだったわけですし。

…そうなんだ…確かにツッコミ満載な新地名が全国にいろいろ出てきてるよね。

だから、地名と言うのには

@古来元々伝わってきた地名
Aその地に住む人が、思い入れがある武将や出来事・場所などを取り入れたもの

があるわけです。
歴史オタといたしましては、@古来からの地名を大切にして欲しいなというのがあるのですが、実際の所は、Aが政治的な情勢などによって優先されているという感じですね。

ほんと、アタシがすんでる首都圏辺縁部なんかはですね、綺麗なだけのおかしな地名だらけですよ。
百合丘」なんて、昔百合咲いてたのかなー、きれいだったのかな?とか思ってたら…
人がちからをわせて作ったニュータウン」って意味なんだって…ぬおー おまけに近くに「新百合丘」まで出来ちゃって、何が何やらでショ?

うわー小田急線使ってたからビックリ…

そんなわけで、地名にはなかなか微妙な問題が含まれているわけです。 で、ここからが本題です。

本題までが長いよ。

スミマセン。
義仲って名字が「木曽」っていいますが…コレってどこだと思います?

「木曽」っていやー「木曽」じゃないの?「木曽路は未だ夜明け前…」って。

それがね、義仲ゆかりの地として有名な「日義村」にも「木曽福島町」にも「木曽」って言う字名は見当たらないんです

木曽に木曽が…ない?

広域地名としての「木曽」は、昔も現在と同じ木曽郡の辺りのことを言うのですが、源平合戦のころの武士の名字は広域地名はフツー使わないので、義仲の「名字の地」としてはふさわしくないんです。
ただ、字というのもなかなか微妙で、地名の原則@Aというのは、義仲の時代からも既にあるんです。
だから、佐久市根井の近くに今井という字がありますが、これは今井の名字の地じゃなくて、「今井がやってきて城を建てたから今井」のようです。原則Aですね。
おなじく、東京都町田市に木曽町という地名が現在もありますが、これは清水義高が鎌倉に送られた時に立ち寄った神社があって、そこから木曽という地名がついた、やっぱりAのパターンです。
こうしてみると、逆に、長野県内に「木曽」がありまくってもいいような気もするのですが、ないんですよコレが。

え?…まさか!?

そう…まさか。
長野県内どこにも「木曽」が無いんです。

えー!?
でもさー義仲は兼平とかより偉い人なんでしょ?だから広い地域の名前をつけたとかは?

まーそれも無きにしも非ずかもしれませんが…義仲以外の信濃源氏はみんな字を名字にしています
岡田氏(松本市岡田)にしろ平賀氏(佐久市平賀)にしろ。甲斐源氏も字名ですね。
数多い源氏を見回してみても、都にいた源頼政の系統と、頼朝、義経ぐらいですかね、名乗っていないのは。

ただ、名字が無い理由はそれぞれで、

頼政系は平家治世における、事実上の源氏棟梁家である上に、都にいる貴族の一員ですから、名字を名乗る必要がない

頼朝は関東の武士に対して、あくまで自分は地域に根ざした武士とは地位が違う「(軍事)貴族だ」という主張のため。

義経は頼朝の弟とかそういう貴種性というより…名乗るべき領地を持っていないから、名字が無い。と言う感じです。

じゃあもしかして…義仲も当時は「木曽」とは名乗ってなかったとか?

まさか…と思って調べてみたんですが、同時代に生きた貴族が書いた日記「玉葉」で
「木曽冠者」と言われているので、「木曽義仲」と名乗っていたはと思います。


木曽路は未だ夜明け前

じゃあ、結局「木曽」はどこかにあったのかな?

一応、義仲の時代に木曽地方に「大吉祖庄」という荘園があったらしいということはわかっていて、 場所は確定していないのですが、現在の木祖村〜日義村〜木曽福島村の辺りだろうとは言われています。

それで、日義村や木曽福島が義仲ゆかりの地になっているの?

そうですね…武士の名字の地がどこかを推測するには、地名だけじゃなくて 「屋敷跡がある」とか、それに類する伝承があるかという条件もあるんです。
それで行くと、義仲の養父・「中原兼遠の屋敷跡」がある木曽福島は候補地として有力ということになります。
日義村には、義仲の「母・小枝の菩提寺」もありますし。

なるほどー。じゃあそれでファイナルアンサー!…じゃないの?

だけどね…
実は先輩…当時、現在の木曽郡の大部分は、信濃じゃなかったんです。

はぁ?

現在の木曽の入り口、鳥居峠から南は美濃国だったんです!!
そんでね、「木曽義仲は美濃の人か」とか言う論争も昔あったようです。

えぇー「信濃の国」の歌詞が変わっちゃうー!!

でもねー考えてみてくださいよ…町村合併で、少し前に話題になったでしょ… 木曽の山口村が、長野県から離れて、岐阜の中津川市と合併したニュース。 木曽地域が、現在でも、岐阜=美濃とのつながりが深いというのを証明してますよ。

♪あさひーしょうぐん〜よーしなかも〜♪って、嘘だったの!?


久しぶりに聞きました…「県歌・信濃の国 5番」

ところが、「中原兼遠の屋敷跡」も「母・小枝の菩提寺」もあるところが他にもあるんです。
それこそ、信濃国内に。


そんな話聞いたことないけど…どこにあるの?


「母・小枝の菩提寺」は、朝日村西洗馬にある光輪寺、塩尻市洗馬にある長興寺、「中原兼遠の屋敷跡」は松本市国府開運弁才天(元屋敷)ですね。
…実は、朝日村〜松本市〜塩尻市は、義仲伝承の隠れた宝庫なんですよ。

松本に義仲!?聞いたことないよ〜

若干話が遠回りになりますが、義仲を育てた「中原兼遠」について説明しながら、松本周辺の義仲伝承を紹介しますね。


信濃権守・中原兼遠


平安時代末期の地方政治というのは、なんつっか、まわーりくどーくなってるんですよ。
まず、当時政治を握っていた「院」が自分が気に入った近臣を「知行国主」に命じます。
その「知行国主」は「国司」を任命する権利を持っているので、自分が気に入った人物を「国司」に命じます。
だけど「国司」は任地に行くのは大変なので「受領」に任せてしまいます。
だけど「受領」も任地に行くのが面倒くさいので、「目代」に任せてしまいます。
中原兼遠の「権守」はこれでいうと「目代」に当たります。

まっわりくどっ!!

だから、中原兼遠は都から派遣されてきたお役人で、一応貴族なんです。
ただ、正式な書面には「国司」までしか残らないんで、かつては中原兼遠の出自については、木曽出身の豪族だろうという説もあったんです。
だけど、近年地元の複数の系図の検討などから、「目代」を家業とする中流貴族で都から来たらしいという話でまとまってきてますね。

貴族なんだ…何だかイメージが。

まー貴族といっても、いわゆる十二単でみやびやかなのはごく一部ですからね、「目代」とかはもう必死ですよ。
「目代」の職を離れたら、食べていかれませんから。
だから、都に対してはとにかく税をきちんと納めて、でも任地では敵対されないように上手く振舞って、 あわよくば任地の有力豪族と婚姻を結んで、居座っちゃおう…で、上手く土地も開墾して子供を土着させちゃおうみたいな。

うわー必死だね。

そうですね、都の貴族が流れ着いて土着というのは、とにかく繰り返されてきたことではあるんですが、平安末期は人の流れが活発なんで、思いもよらないつながりがいろんな所にあるんです。 中原兼遠も実際いろいろ手をうってるんですが、それに関しては第4回のヒミツでお話したいと思います。

わーそれも面白そう!

…で、話は戻りますが、中原兼遠が、国司の代理人の役目を果たすには、国司の勤務先である「国府」で働かなくてはなりませんよね。


えっと、国府ってどこにあったの?長野?
上田の辺に国分寺跡があるけど、あれかな?

いえいえ、上田に国府があったのは義仲の時代よりずーっと前で、平安時代は「松本」に国府がありました

松本!なるほど…そういや今井兼平の本拠地が松本っていってたっけ?

そうです。今も「今井神社」というのがありまして、地元の人に「兼平様」と呼ばれているそうです。 そそるでしょ?

ははは。

他にも、松本市今井には

「今井兼平形見石」というのがある諏訪神社、
今井兼平が中興の祖という「宝輪寺」などがあるんです。
で、この今井という場所は松本市とはいっても限りなく朝日村に近いんです。

朝日村に入るとこれがまたいろいろありまして、
西洗馬の光輪寺には義仲と母小枝が暮らしていたという伝承もあって、
なんと、今井神社(兼平屋敷跡)から光輪寺までが薬師街道という名でつながっていて、 江戸時代には礎石が残っていたそうですよ。
その他、義仲と兼平がイワナを刺して食べた柳の枝から目がでた逆さ柳とか、
今井兼平のうがいの泉とか、
朝日村から塩尻にかけて、義仲ゆかりの寺社や楽しい伝承がいろいろあります

へえ…朝日村に。ん?朝日?

朝日といえば「朝日将軍」ですよね(笑)
この村名は義仲にちなんでつけられたものだそうです。

朝日村にしても、日義村にしても、明治時代になって、新たに「義仲にちなんでつけた村名」なので、
そういう意味での義仲ゆかり度は、実は同じぐらいなんですよ。
どちらも、たくさんの伝承の地はあるけど、古地名の字「木曽」はないですし、決定打がないんです。


そうなんだ…
でも、「義仲といえば、日義村」ってかんじだよねえ?

それはですね、自治体の努力ですよ。
観光資源として義仲を大事にして行こうという。「義仲館」を建てて顕彰しようとしたりね。
頭が下がりますよね。義仲がらみの自治体でここまでしている所は他にないでしょうね。お祭りも大変有名ですし。


消された「松本成長説」


実は、松本〜朝日村〜塩尻にかけての、義仲の伝承をベースに、 大正時代に発行された「松本市史」では、「義仲松本成長説」という、ある意味おったまげな論文が書かれています。

「松本成長説」!?

正直、私もはじめて読んだ時は、無言でページを閉じましたね。
当時高校生で、すっかり 「義仲=木曽」と刷り込まれていたので。
でも、
中原兼遠が「都から派遣された国府の役人」である…とすれば、松本で育ったと考える方が自然だし、伝承地の数も全県的に調べても、 松本〜朝日村〜塩尻域は多いんです。
ちなみに「洗馬」という地名があるんですけど、これ、義仲が馬を洗ったことから来る地名なんですが 鎌倉時代に初見する地名なので、かなり古いし、義仲に実際関係している可能性が高い地名といえるんです。

後ね、「源平盛衰記」には「信濃の安曇の木曽というところで義仲は育った」って出て来るんです。

安曇=松本!?

ただ「源平盛衰記」はその文章の直後に、義仲の父が討たれたのは「相模国(本当は武蔵国)」とありえないミスを記してあるので、信憑性にはイマイチかけますが…

なんだぁ〜じゃあ、
義仲は松本と木曽どっちで育ったわけ

ぶっちゃけ、ナゾですね。というか、この二つは実はつながってる伝承だと私は思ってます。

つながって…る?

朝日村のほうにある伝承地で「御馬越」という地名があるんです。
義仲が馬で越えてきた所とか言う意味
ですよね。 その越えた先に何があるか、というと。

と?

木祖村小木曽という字があって…そして日義村です。
今でこそ、鳥居峠に国道と電車が走ってて、木曽にいくにはそこを通るしかない!!ってイメージですけど、
昔はそうでないルートもたくさん使われてたと思うんですよね。

だから、今感じている以上に、朝日村〜木祖村〜日義村のルートは大事にされていたのかもしれない、と想像するわけです。

中原兼遠が松本の国府に勤めていたにしても、別宅が日義村にあったとか、隠居してからそっちに住んだとか…

ぶっちゃけ、中原兼遠がいつからいつまで権守をやってたかとかも、確かめようがないんですよ(笑)
なんてったって、公式外の地位ですし、任期も不確定、気に入られれば何年でもという反面、
もしかしたらとっととセミリタイアで、木曽でのんびり暮らしてたのかもしれないし。

セミリタイア…!? 超時代の先をいく中原兼遠!!

だから、義仲が成長したのが日義〜木曽福島か、朝日〜塩尻〜松本かは、本当に確定するのは難しいですし、その必要もないと思うんです。
どちらかの伝承が軽視されるのでしたら、もう一方も同じレベルで軽視されることになることをよく理解して欲しいです。

ただ、義仲が「日義〜木曽福島を根拠地にしていて、そこで挙兵した」と言うのは、ぶっちゃけ厳しいと思います。

うわ言い切っちゃってるよこの人は!

私、教員時代にフィールドワークをかなりしたんです。
長野県内で義仲の伝承がある所には大体行ってます。
ネットでは他にも詳しい方がいるので、木曽基礎ではあっさり触れる程度に留めていますが。

で、足でまわった感想としては、
木曽はやっぱり遠いんです…。
美濃に入ってたことに、ある意味納得してしまいます。

義仲が信濃国の武将たちを自分の旗下に集めるには、源平合戦以前からある程度の地盤がなくては難しいと思います
その為には、佐久の滋野党や諏訪神党とつなぎを保っている必要があるわけです。
で、
滋野党の本拠地付近にいた私としましては、
「いくら濃い源氏でも、あそこまで遠かったらわざわざ繋がってなくても、他にも源氏はいるし」みたいな
気分になりますですよ…木曽谷の内部は車で行っても、本当に遠いんですよ…。

だから、義仲に木曽で成長した時期があって、木曽域を根拠地としていた…と仮定しても、木曽の入り口にあたる木祖村か楢川村のあたりかなと思います。
まあ実際、楢川村には「義仲の城があった」という伝承があるんですが。

じゃあさ、どうして義仲は木曽で挙兵したことになってるの?ドラマとかそういう描写になってるよね。

それはですね…ドラマ性のためだと思います。

え?
ドラマチック・木曽義仲

義仲が実際に生きてから、本当に長い時間が経っています。
だから、その上に積み重ねられた歴史の装飾と言うのはものすごいわけです。
平家物語からしてまず、演出・創作が入ってますし、それを基にした古典芸能など、数知れません。
そういう中で、よりドラマチックにするため、
義仲の純度みたいなのを高めていく方法が取られる
わけですよ。

純度…??キャラ立ち…ってことかなぁ?

そうですね。
例えば、平清盛はあくなき権力の追及者。
源頼朝は源氏最高いやいや、再興の嫡流、武家の棟梁・天下の征夷大将軍。
源義経は兄に裏切られた悲劇の御曹司…

とまあ、似たようなキャラは一つの物語にいらないわけですよ。
で、わかりやすい義仲のキャラクターとしての個性は何かというと、

「山猿?」

うっ。それですね。
都を知らない、田舎からやってきたみたいなね。

そのためには、中原兼遠は貴族出身じゃないほうがいいし、
信濃国府の松本育ちより、美濃との県境の山深い木曽の方が、キャラが立つわけなんですよ。



そっか…部下もあんまりいない方が、だんだん仲間を増やして数万まで!!って劇的なんだ。

そうそう。だって国府にいたら最初から数千騎はいますから。
だけど、
平家物語で「廻文」を信濃中に廻してる時点で、国府関係者だろお前ってバレバレなんですけどね…。 廻文はフツー国府で軍勢集める時にまわすものなので。

なるほどねえ。 そう考えると、歴史上の人物って複雑だね。

そうですね。
周りの人物達とのキャラ比較とか、地元の人たちの思いとか、観光資源としての有効活用とか。
まあ、
歴史の主役というのは、今生きてる人ですから、歴史上の人物がどう活用されてもしょうがない部分と言うのはあると思うんです。

ただね、
それに振り回されてはいけないと思うんですよ。

例えば、
伝承の地があるのに、無いフリをしてみるとかね。
昔は紹介されていたのに今は観光案内に載ってないとか。

なにそれ…情報操作じゃないの!?

義仲に関係しているにもかかわらず、あえて書いてないとか結構ありますよ…。
そんなに義仲って自分の土地と関係して欲しくない、恥ずかしい歴史上の人物って思ってるんですか?って言いたくなりますね。

わー西さん怒ってる…

怒りますよ。義仲は長野県の誇る、天下の征夷大将軍ですよ!!!

3日だけど
う。その辺が恥ずかしいのかなぁ?
どうかな?でも、征夷大将軍なんて、何人もいないじゃん?
かっこいいと思うよ、最期泥田にはまっても。
うう。その辺が恥ずかしいのかなぁ?
でもあれは、私的には美しき友情のシーンなんだけど…(涙)

(爆笑)

話は戻りますが、伝承の地などに対する自治体の取り組みと言うのにはすごく差があって、 ネットで簡単に検索できる所もあれば、昔のことには全く触れようとしていない所もあります。
HPと言うのは、紙媒体に比べると、容量の自由度ははるかに高いし、是非活用してほしいなと思うのですが。

そうだよね。旅行に行く前とか、とりあえず検索かけるもんね。
何か見所ないかな〜とかって。

歴史って、生きていく上でそんなに大切と思われていない科目かもしれないけど、
「歴史上の人物が自分と接点がある」とふと思いをはせる瞬間って、
昔から代々つながっている生命…生きている不思議みたいなのを実感できる貴重な体験だと思うんです。
身近な伝承などを知ることって、そういうチャンスなんですよ。

ロマンだね。
私も、西さんにいろいろ義仲のことを聞いて、どんどん萌えてきたもんね。
特に巴ちゃ〜ん!

だから是非、各自治体の関係の皆さんには、 義仲に関わらず、地元の伝承とか伝説を大事にして、包み隠さず、HPなどですぐ探せるようにして欲しいなと、 しみじみ思います。 そして、義仲関係の自治体の皆さんがそれぞれお互いの伝承や伝説を尊重して、義仲を全国に誇る、長野県全体のヒーロー、 そして観光資源として盛り上げていって欲しいと心から思います。

(6月23日更新終了)
第4回は「義仲に似ているあの人〜義仲の信濃経営〜」
と題して、義仲の血縁関係、清水義高や頼朝も絡めてお話する予定です。

第2回「義仲の意外な真実〜延慶本・横田河原合戦をネタに語る〜」
第1回「義仲って・・・〜二次創作物により描かれた義仲像〜」
木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996