義仲の母はどこに
●人名リスト

木曽義仲の父は、「帯刀先生義賢」であることが平家物語でも語られています。義賢はもともと天皇の護衛を担当していた武士で、その後、秩父氏に招婿されて武蔵へやってきました。しかし義仲がどの時期に生まれた子供なのかはっきりしていません。
「義仲の母」は、尊卑文脈によると「遊女」とされています。しかしこれでは、都の遊女なのか、武蔵の遊女なのかもわかりません。また「秩父氏娘」説もあります。「義仲の母」にまつわる伝承はいくつか遺されていますがヒントになるでしょうか。

@長野県日義村・徳音寺
  義仲の母小枝御前ゆかりの寺。
A長野県塩尻市・長興寺
  義仲の母・小枝御前の墓と供養塔がのこる。
B長野県朝日村・光輪寺
  義仲が母・小枝御前と住んでいたと言われる。
C岐阜県美濃加茂市・伝若名御前宝篋印塔
  義仲の母・ 若名御前の墓と言う言い伝えがある。
D岐阜県美濃加茂市・小山観音
  義仲の母・若名は、都へ向かう途中病に倒れ葬られました。
  現在若奈を祭る神社が飛騨川の川中の小島にあります。
E埼玉上里児玉・青江橋
  義仲の母・青江が、疱瘡にかかった駒王丸を看病したと言う橋

このように、義仲の母として伝わる名には、義仲生育説のある長野県木曽地方・松本周辺どちらの伝承にも見られ、小説などで一般化している「小枝」の他に「若名」「青江」が伝わっています。
「若名」の伝承は、「都出身の遊女」と仮定すれば、リアリティのある伝承と言えますが、「木曽考」に寄れば、「若菜」とあり、「義仲の妻の一人で、義基の母」と記されています。
また「歌舞伎・源平布引滝」で登場する義仲の母は「源平盛衰記」に義仲の愛妾として名の見える「葵」ですが、「アオイとアオエ」の音が似ているのは単なる偶然なのでしょうか。

義仲をめぐる女性達の名は、長い歴史の中で霧につつまれ、母なのか、妻なのかすら、判別できなくなっています。また、義仲にまつわる女性達の伝承を集めると、不自然なほどに「巴」や「山吹」の名を語る女性の伝承が、脈絡なく全国各地に散らばっているのにも気付きます。これらは各地で育まれた伝承が、時代を経ることによって情報交換が可能になり、本来名が伝わっていなかったものに固有名詞が当てはめられたり、再構成されてしまった結果といえましょう。
しかし「本当の名」にこだわる必要があるのでしょうか。
名前が伝わっていなくとも良いのです。「義仲の母といわれる人が、義仲の愛した女性が、そこに存在した」と言う本質こそが、大切なのですから。

別項→
参考文献→
関連事項
→古典芸能/歌舞伎・文楽「加賀篠原合戦」「源平布引滝」

木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996