藤原伊子(松殿の姫)
●人名リスト

六条高倉なる所に、初めて見初めたりける女房の
ありければ、そこにうち寄って、
最後の名残惜しまんとて、とみに出でもやらざりけり。

平家物語 巻九 河原合戦の事

義仲との関わり
 義仲在京時の妻。大変な美人と有名で、天皇に目合わされるのではといわれていたが、十七歳で義仲の妻となった。
京の人々は「田舎侍が押し入って奪い取った」と噂したが、実際は、義仲を利用して朝廷での権力を取り戻そうとする父・松殿こと藤原基房の意にそったものらしい。

 義仲との時間は短いものだったが、一女をもうけ、鞠子という。

生い立ちとその背景
 松殿こと、藤原基房の娘として生まれる。
 藤原基房は後白河法皇の関白として勤めていたが、平清盛との確執により失脚。
何とか威光をとりもどそうとし義仲と結ぶ。その結果、義仲の法住寺合戦後に息子を関白に就けることに成功するが、それは短いものだった。

義仲の死後
義仲の死後は松殿の別荘で細々と暮らしていたが、藤原基房の権力へのあくなき執念は 尽きることなく、伊子を三十歳のころ久我通親と再婚させた。
結果一男をもうけるが、久我はまもなく死亡、伊子もその5年後死んだ。
息子はのちに道元となったが、その思想形成に藤原基房、伊子の影が差しているという。

参考史料 
・平家物語 巻八 法住寺合戦の事
      巻九 河原合戦の事
  ・源平盛衰記 
  巻三十四 法皇御嘆き並木曾縦逸附四十九人官職を止むる事
  巻三十五 木曾貴女との遺を惜しむ事
・尊卑文脈 

参考文献→仏教の思想十一「古仏のまねび(道元)」  角川書店
関連事項

木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996