人は巴に夢を見る
●人名リスト

「私、巴御前が好き! だって女武士といえば巴でしょ!」

そんなファンが数多い巴御前。実際私にとっても「女武士・巴」の存在は、義仲にはまった重要なファクターの一つである。
知名度が高く、人気者であるために、最近多く刊行されている「女性史」に関わる本では、必ずと言っていいほど取り上げられながらも、巴御前についてのみ書かれた本は少なく、入手も困難なものばかりだ。なぜ、巴の本が無いのか。理由は明快である。彼女について知り得る情報は限られており、「史実」のみにこだわるのなら、存在すら疑われているからだ。
実在すら疑われ、平家物語にもわずかにしか登場しない巴が、なぜ現在の人気と知名度をもつに至ったのか、考えてみたいと思う。



映像化された義仲の最期

 巴が登場する「平家物語 巻九 木曾の最期」は現在多くの教科書に取り上げられ、「義仲」と言う名をそこで初めて知った人が多いだろう。
以前、「木曽義仲の基礎知識」ホームページの掲示板にも
「研究授業で木曾の最期を扱うので、映像資料を紹介して欲しい」
と言う書き込みが中学国語教諭からあった。
 「義仲の最期」には義仲の腹心・今井兼平が馬上から刀を口に含んで飛び降りるという衝撃的なシーンがあり、絵になることはまちがいない。きっとその教諭は、そのシーンを導入部で生徒にぶつけ、授業を盛り上げたいと考えたのだろう。
しかし私はそれを読んで頭を抱えてしまった。
なぜなら「平家物語・木曾の最期」を再現したドラマは私が知る範囲では無いのである。

 義仲が映像化されるといっても、主役ではなく、「源義経」や「新・平家物語」の中での一キャラクターにすぎず、物語の中で義仲に費やす時間は限られたものになる。そうすると、義仲の周囲にある人物を全て登場させるわけには行かず、取捨選択が行われる。そして製作者は今井兼平をボツにし、視聴者になじみのある巴御前を選び取る…そうして義仲の最期のシーンは、巴が討ち取られた義仲の首を持ってどこかへ消えたり、入水したりという、「平家物語」からかけ離れた物に変貌しているのである。
小さな事ではあるが、そんな繰り返しの中で現代人の「巴御前像」は確立していったといえる。
しかし、巴が重要なポジションを占めるようになるまでには、長い歴史があった。


能における義仲の最期

 室町時代に成立し、古典芸能の代表的な存在である「能」の世界では、平家物語をモチーフにした作品が多く作られているが、「義仲の最期」を取り上げたものは二つあり、それを「兼平」「巴」という。
義仲が主人公ではなく、今井兼平と巴、それぞれの視点から見た義仲の最期が作品化されている。

現在では「巴」ばかりが上演され、「兼平」を見る機会は減ってしまったが、成立期を比べると「兼平」の方が古い。
 能の辞典などをみると「作者不詳」とひとからげになっている二作品だが、「兼平」の元作品は、「能」が芸能として大成する以前から存在し、地方にあった鎮魂の舞が取り入れられたものと見られている。

 「能・兼平」では平家物語から逸脱することなく、兼平が義仲の最期を語り、その供養を望んで消えて行くという内容だが、 「能・巴」は巴と義仲の別離に際して独自の解釈を加えている。

「平家物語」での義仲は、範頼・義経の軍勢に追いつめられ、死期を悟って巴を戦場から逃がそうとする際、「武士の最期に女を連れていたとはみっともないから、お前は戦場から去れ」と命じる。 それに対し「能・巴」の義仲は「俺の形見の小袖を木曾にいる妻子に届けてくれ」と命じている。

 このようなストーリーの変化は、歴史における女性の社会地位の変化と呼応しているのかもしれない。
平家物語・能「兼平」の時代は、命をかける男の戦場に女は不要だった。
しかし、「能・兼平」と「能・巴」の間に、戦国時代も終わりを告げ、戦いの時代は去った。
そして平和な江戸時代には、新たな価値観と元気な女性たちが現れ出し、「巴」は平家物語から一人歩きをはじめたのだった。

文楽・歌舞伎に見られる巴

 江戸時代を代表する芸能に「文楽(人形浄瑠璃)」「歌舞伎」がある。この二つは人形と浄瑠璃で表現するか、人間の演技で表現するかの違いがあるが、同じ作品を扱って発展してきた。この中でも義仲をモチーフとした作品があり、巴が出てくるものでは「加賀篠原合戦(一七二六年)」「ひらがな盛衰記(一七三九年)」「女暫」が現在でも詳細な内容を確認できる。

 「加賀篠原合戦」での巴は、中原兼遠の娘でありながら、今井兼平とは異母妹で、近江にすむ「お兼」と言う名で登場する。お兼は河原で平家方の武士を相手に大立ち回りを演じ、偶然それを目にした義仲が愛妾にするという内容だ。

   「ひらがな盛衰記」の巴は、義仲の死後和田義盛に捕らえられ、義経と引き合わされ、「義仲は三種の神器を取り戻すために平家と組むふりをして近づいたのだ」と、平家物語では見られない新しい義仲観を語っている。

 このように巴は歌舞伎の中でのびのびと活躍の場を広げて行く。その最たるものが「女暫」である。

 「女暫」はもともと歌舞伎で有名な「暫」の主人公を女に置き換えて作られた作品である。とにかく悪いやつがいて、悪の限りを尽くしているところに、正義の味方が「しばらく!」と声をかけて登場し、成敗するという、水戸黄門のような…特撮ヒーローのような、筋立てになっている。
 このような内容であったため、一七五五年の初演からさまざまな女性が主人公となり「しばらく!」と声をかけて悪人を倒してきたのだが、一七八六年に「女武者菊千余騎」で「巴御前」が主人公として取り上げられてから、明治時代に入ると「女暫」の主人公は巴で一般化していった。

 江戸時代になると、武士にかわって町人が台頭し、「歌舞伎・文楽」等の芸能は彼らに支えられた。そのなかで描かれた人物達は、武士道に殉じる男ばかりではなく、封建制度の中で苦しみながらも活路を見出して行く女や、身分違いの恋など、さまざまだった。
 また「歌舞伎・文楽」は演劇でありながら、ワイドショーでもあり、実際に起きた事件や実在する人物を、物語へ露骨に吸収して行った。その中には、男をものともしない力強い女性もあったという…そんな女性たちをモチーフに「巴御前」は、世の「戦う女性」の代名詞となっていったのである。


超越する「女武将」

 「女武将」は巴以外にもいた。鎌倉時代初期に起きた、城長茂の乱で活躍した「板額御前」は歌舞伎にも取り上げられ、一斉を風靡した。また詳しく調べて行くと、戦国時代にすら戦う女性は存在している。
 でも…巴なのである。
 平家物語の巴登場シーンはわずかで、それは一つの小さな戦いに過ぎない。そこで語られている巴の人生も言葉足らずだ。しかし、

「幼いころから義仲と重ねた日々を胸に、女ながらに武将となり、都までついてきた…」

という姿に、人々はさまざまなしがらみを超越する象徴的な存在を感じ、憧れずにはいられないのではないだろうか。

 封建社会ははるか歴史のかなたと消えた。しかし現代社会にも、さまざまなしがらみ、超えたくても超えられない何かがある。
 だから男も女も、今でも「巴御前」に夢を見るのかもしれない。

関連事項
→古典芸能/歌舞伎・文楽「加賀篠原合戦」「源平布引滝」

木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996