山吹
●人名リスト

木曾は信濃を出でしより、巴・山吹とて、
二人の美女を具せられたり。
山吹は労りあって都に留まりぬ …平家物語

 平家物語に寄れば、巴と同じ女武士で、京まで共にやってきたが、病気のため最期の戦に参加できなかったという事しかわからない。
 かつては「諏訪大祝娘説」「中原兼遠娘説」なども語られたが、現在は「海野家娘説」が一般化しつつあり、その延長上で「清水義高の母」とも言われている。
義仲が若いころから結ばれていた女性だろう。
 義仲死後については伝承ではさまざまな人生が語られているものの、関連性に乏しく、どれか一つにしぼることができない。

生い立ちと背景
「義仲の養父・中原兼遠と、海野家棟梁・海野幸親(中原兼保から改名か?)は兄弟」ということを軸にした家系図などが、 長野県内に散在しており、それをまとめた本が出版され「海野娘説」が広まった。

 「海野氏」は長野県有数の武士団「滋野一族」の棟梁家で、望月・祢津をはじめ、小室・根井などを束ねていたが、 保元の乱ごろは武力に優れた根井行親が「滋野一族」の実質的リーダーだった。
 兼保がいつ・どんな経緯で海野家に婿入りしたかは不明だが、兼保の妹が根井行親の妻となっており、 両者は強い協力体制で結ばれていた。「山吹」の嫁入りは、中原・海野・根井の関係を更に強固なものにするために行われたと言える。

 また滋野一族・本拠地近辺には、清水義高(義仲嫡男)が生まれ育ったという伝承が多くある。義高の出自には諸説あるが、 義高の鎌倉行きに関わる海野家の重用ぶりからも「義高母・海野氏説」が推測されます。


文楽・歌舞伎における山吹
少年漫画のセオリーに、「ライバルを出す」ということがあります。物語をもりあげ、主人公の目標や魅力を際立たせるため、必要不可欠な存在です。
そんなセオリーは、昔々の文楽・歌舞伎の時代に、既に確立していたようで、山吹は、「巴のライバル」として、「女武将巴」のキャラクターを際立たせるために登場します。
平家物語には「二人の女武将」と書かれている山吹ですが、だいたい「姫君」に設定されて、悲しい最期をたどります。
特に、現在も文楽でしばしば上演される「ひらがな盛衰記」の山吹は、主人公・お筆の主君?として登場します。義仲敗死後、子供を連れて、信濃へ向かう旅の途中、山吹は追っ手に襲われ命を落としてしまいます。…お筆は山吹の遺体を笹にのせて、花道をずるずると運んでいきますが、そのシーンが一つの見所になっています…

参考史料 平家物語 巻九 木曾の最期の事

山吹の伝承

京都府

・ 山吹は合戦の疲れで寝こんでいたが、回復し鴨川の土手を散歩していたが再び倒れ、通りかかった土地の人に助けられて大きな笹にのせられた。
・ 山吹は義仲の晒された首を奪い、笹の上に乗せて運んでいったが、力尽きて死んでしまった。

大津市
・ 秋岸寺という所の近くで山吹は追手に討たれた。下女にねんごろに葬られた。
・ 人生のはかなさを感じた山吹は義仲を葬った後、井戸に身を投じた

埼玉県嵐山町
・ 義仲と義高の菩提を弔うため班渓寺を創建。

愛媛県
・ 山吹御前は義仲の領国だったので従者を連れて京都から逃れきたが、旅の疲れで病になり、ついに死んでしまった。従者はその遺体を笹にのせ坂を引き登った。

愛知県鳳来町
・ 山吹は京から美濃尾張三河を経て逃れてきたが、追手に討たれ死んでしまった。

岐阜県
・ 山深い赤石園に山吹と義仲の子が逃げてきて密かに住み着いた。

 山吹は一体何人いたのでしょう。それも、ほとんどが「死んだ」というおち。
そして、いくつかの伝承に共通する「笹にのせて運ぶ」というキーワードに気づいた人は多いと思います。
 どの「笹引き」が本家なのかはわからないけれど、歌舞伎の作者が「伝承に残っていた 笹引き」に舞台の見所を感じて取り入れたのには違いなく、 その結果「山吹=笹引き=遺体」という構図が出来上がり、各地の山吹伝承にそのエピソードが取り入れられ…そして山吹は各地の伝承で殺されてしまったのではないでしょうか。


参考文献→
「兼遠と義仲」小林清十郎 銀河書房
「中津川市史」
「山吹御前の史話を追う」森岡正雄箸
「信濃読みもの叢書 木曽義仲物語」 信濃教育会
「鳳来むかしばなし」 鈴木隆一編 

関連事項
→古典芸能/歌舞伎・文楽「源平布引滝」「加賀篠原合戦」


木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996