今井兼平の妻と子孫
●人名リスト

木曽義仲というと、巴御前を始めとして、多くの女性を身の周りに置いていたいわゆる「女好き」が知られていますが、義仲の第一の家臣・今井兼平の女性関係はどうだったのでしょうか。

全国には、兼平ゆかりを名乗っている「今井」地籍が数多くあります。それらの地域に伝わる今井子孫伝承を検討、分類することによって、兼平の女性関係が浮かび上がってきました。


  信州出身の女性


・ 長野県松本市…兼平の「今井」姓はこの地名によるもの。現在も今井氏がいて、兼平にまつわる神社・寺などが散在している。

・ 群馬県前橋市など…群馬県には兼平子孫の地名伝承が多いが、一つの血筋が時間とともに地理的に広がったものらしい。兼平の妻は、兼平死後残党狩りを恐れ、3つの神社の御神体を持って山を越え逃げた。それが現在木曾三社神社という名になって群馬県にある。この御神体は松本市にある神社と同じである。

・ 長野県佐久市…兼平が居住した「今井城跡」があり、ここに、根井氏出身の妻がいたが、兼平の死後その妻子は逃亡したという。佐久市に近く、義仲の城があった丸子町には「与三」という兼平の子が峠を越えて義仲の子を助けるため旅立ったが病に倒れ、峠で無念の死を遂げたという伝承がある。地理的に見てこの子が根井氏の妻の子ではないだろうか。

・ 長野県上田市…荒神神社に「今井兼平の墓」がある。社伝によれば、この神社は兼平の妻が巴と開いたものだという。佐久から丸子を越えた先が上田市なので、根井氏の娘かもしれない。

・ 岐阜県萩原町…残党狩りから逃げてきた兼平の妻子が住んだという。荻原町は木曽方面から抜ける峠に近く、木曽にいた妻子ではないかと推定される。


地元豪族の女性


・ 新潟県越路町…兼平が城を建てて居住したという伝承がある。ここから派生したのか、長岡市に今井子孫が多く存在している。

・ 福井県福井市…今井神社が現在もあり、伝承も残っている。ここに住んでいた豪族は自分の娘を兼平に差し出し、懐妊したという。兼平の死後はひっそりとその地で暮らしたという。

・ 岐阜県高山市…今井の子孫が義仲の子孫と住んでいたという地籍がある。高山は上高地をぬけて松本に通じており、兼平が高山の飛騨国府を訪ねることもあったかもしれない。

※この他に近畿・四国・神奈川県までその伝承が存在します。


まとめ

兼平の子孫伝承で特徴的なのは歴史的にも地域的にも関連性がなく、それぞれが別の系統になっている事です。これは、今井という地名が一般的で、江戸時代くらいからの「なんちゃって子孫」も含まれるかもしれませんが、「今井城」伝承ある所に、子孫あり。という事象を見れば、兼平が新たな地域に入るたび、現地の豪族の娘をめとり、その胤を残していったと考えられるのです。

別項今井兼平
参考文献
関連事項 →
木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996