根井小弥太
●人名リスト

根井行親の長男。木曽四天王は「根井行親」という見方が一般的だが、「年齢的に行親の長男が四天王」という郷土史家・小林清三郎氏の意見に私は賛同している。源平盛衰記には「根井小弥太」と表記されている事(行親は保元物語では大弥太となっている。)・盛衰記の中で「根井」が二回死ぬ不思議な記述がある事から、小林説は裏付けられるのではないだろうかと考える。ただし、文献では完全に二人は混同されているため、文脈から見極めが必要で、伝承なども大弥太に関するものか小弥太に関するものかはっきりしないものが多い。

生い立ち

長野県佐久市・行親の館に、同居していたものとみられる。

源平合戦での活躍

横田河原・倶利伽羅・安宅・法住寺などの合戦で必ず名が見え、四天王の中でも特に活躍している。また、平家に攻め落とされた燧が城は根井の築城と言われ、義仲が越後国府にある時は北陸を固める役割をになっていたと考えられる。ちなみに京都で猫間に食事を出したのも根井で、思いのほか義仲に近しい位置にいたように感じられるが、この場面での根井は行親の方だと私は考えている。

義仲の死後と子孫

義仲敗死後、根井の首はともに晒された。根井行親の妻は一族郎党を引き連れて群馬へ逃れたという


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参考文献→
関連事項
→古典芸能/歌舞伎・文楽「加賀篠原合戦」「天晴れ軍師」
→戦記/四天王戦記「根井小弥太」

木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996