樋口兼光樋口の最期
●楯六郎 ●根井小弥太 ●今井兼平 ●樋口兼光


樋口兼光は源行家を討つために五百余騎で河内国長野城を越えた。

「これまでも行家に義仲様は迷惑をかけられてきた…しかし、「叔父上であるから」と見逃されてきた事すら気づかず、
殿を裏切るとは許せぬ…この兼光が討ち取ってやる。」

しかし行家も武将の端くれ、兼光の追撃を逃れて、紀伊国名草へ向かいました。
兼光はそれを追おうとしましたが、そこに知らせが入りました。

「都で戦があった?それはまことか?…では義仲様は?他の四天王は?」

兼光は不安にかられ、京へ向かいました。そして淀の大橋で今井の下人に出会ったのです。

「兼平はどうした?義仲様は!?」

「義仲様も兼平様も…鎌倉方に討ち取られて…私たちはどうしたらいいのか…。」

「なんと…義仲様と兼平が…あぁ…」

兼光は天を仰ぎました。そして最期の一瞬を共にできなかった自分を悔やみました。
もし、行家を追うことにこだわらず、もっと早く京に向かっていたら…。一筋の涙がこぼれてきます。
そのとき兼光は自分に向けられた視線を感じました。自分に従ってここまでついてきた部下たちと、今井の下人たちの。

兼光は義仲の乳兄弟の顔から武将の顔に戻ってこう言いました。

「今までついてきてくれた一人一人に感謝する。聞いての通り義仲様は討ち死を遂げられた。
私は木曽四天王の一人として、ここに我が軍の解散を宣言する。義仲公に思いがある者は、
生き延び、その菩提を弔ってくれ。私は都に上り、討死にして、冥土で義仲公にお会いし、
今井にも会う事にする。」

部下と下人たちはしばらくその場を動けませんでした。

「私は都へ向かう。これは私だけの戦いだ!」

兼光はそう言い放つと馬で駆けだしました。
落ち延びる者もいました。兼光についていく者もいます。都に向かう途中で鎌倉方が容赦なく矢を射かけてきました。
そして鳥羽の南門を過ぎる頃には、兼光の一群は二十騎ほどになっていました。
そのことを知った児玉党は、兼光に使者を送りました。

「あなたほどの人物が討死にする事はありません。何とか命を助けますので、私たちの元に来て 下さい」

兼光はもう誰にも従う気はありませんでした。しかし母の親戚である児玉党に、
自分へ声をかけたことで迷惑がかかるかもしれないと思い、その申し出に従う事にしました。

  しかし、児玉党の活動もむなしく、院の人々によって兼光の処刑は決まってしまいました。

「義仲様と共に私の首もさらしてくれ。
 それこそが私が木曽四天王である証なのだから。」

兼光の最期の願いは聞き入れられ、木曽四天王がさらされていた東洞院の北、左の獄門の樗の木に、兼光も加えられたのでした。
 
初出/木曽義仲の基礎知識武将編U「木曽四天王」1997.12

木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996