1181 横田河原合戦
●横田河原合戦前記 ●文献に見る合戦1(史料・軍記) ●文献に見る合戦2(自治体誌) ●付記

1・横田河原合戦前記〜それまでの北信濃〜→コチラへ


2・横田河原合戦詳細〜文献資料をさぐる〜

棟梁を失った城氏は弟の助職が相続し、義仲攻めの意志も引き継いだ。横田河原合戦の詳細は諸本・伝承に寄って異なるのでそれぞれ簡単に紹介する。

1・史料に残る記述

@玉葉 7月1日
   藤原光隆によると越後の助職が6月13・14日に信濃追討に向った。ほとんど抵抗を受けずに侵入できたので、散在している敵を攻めようとした所、信濃源氏が三手(キソ党・サコ党・甲斐武田党)に分かれて急襲したので、城氏は敗れた。助職は矢で三ヵ所負傷し、わずか300人を率いて越後に逃れた。残りの9000人は討ち取られたり、谷から落ちたり、山林に逃亡したという。

A吉記 6月27日
 助永の弟、信濃国に攻めたが負けたという

B吾妻鏡
10月9日
 越後の住人城四郎永用が、兄・資元の跡をついで源家を討とうとするので、木曽義仲が北陸堂の軍士等を引率して信濃国筑摩河の辺りで合戦をした。晩に及んで永用は敗走したと言う。

2・軍記物による記述

@覚一本

9月2日

 城長茂、木曽追討のため越後・出羽・会津の兵を引率して4万騎で向う

9月9日

・城氏横田河原に陣取る
・義仲依田城にいたが3000余騎で城を出て横田へ向う。その際井上光盛のアイデアを採用し、3000余騎を七手にわけた。

A延慶本

・城氏は越後〜出羽の兵六万を集め、「千曲越…一万騎」「上田越…一万騎」「大手…四万騎」の三手に分けて進軍させた。
・城氏は大手の軍勢を率いて越後国府から熊坂を超えて横田河原に陣取る。
・義仲はそれを聞き信濃と上野の兵2000騎を白鳥河原に陣を取った。
・楯六郎が塩尻から眺めると、石川方面が焼き払われていたので、八幡宮で祈願し義仲の元に戻って報告した。
・義仲は夜を徹して兵を進め、早朝八幡宮に到着。願書を収め、横田河原へ。

B「源平盛衰記」

6月25日 

・城氏は越後・出羽・信濃の兵を「千曲越…1万騎」「上田越…1万騎」「関山越…4万騎」の三手にわけて進軍させた。
・城助職は関山越え軍勢を率いて越後国府に到着

6月26日 

・関山を超えた軍勢は笠原平五・平四郎、星名権八などが先陣を争いつつ兵を進める。
・筑摩川の端・横田河原に陣をとる。
・横田・篠ノ井・石川辺りに火を放って軍場を作った
・義仲方は白鳥河原に信濃・上野の兵2000余騎を集めて陣をはる
・楯六郎が偵察に赴き、塩尻から見渡すと、火をかけて焼き払っている様子が見えたので、急いで義仲に使者を立て、自分は更に戦場がよく見える八幡神社に行って勝利を拝む。
・義仲はその知らせを受けて徹夜で軍勢を率いて神社へ向う

6月14日(ママ)・辰の刻より戦いが始まる。

 合戦の内容は、「井上氏の奇策」は共通しているが、詳細が異なるので、大筋は「源平盛衰記」に借託し表としてまとめた。 


●「井上氏の奇策」緒本対比表●

源平盛衰記 延慶本 覚一本
・義仲軍は兵100騎を一直線に並べて川をさっと渡り、西の河原へ北を向いて駆ける
・城軍は入れ替え入れ替え戦うが100騎がまとまって駆け立てるので2・3度引いた。

・その様子を見て義仲軍はいったん川を戻り本陣へ

・城氏は笠原氏に「わずかの勢に大勢が3度も駆け散らかされるとは。ここは信濃で恨みを買っているお前が行って敵を蹴散らして見せよ」と命じ、笠原氏は自分の手勢300騎から85騎を選び出し「太く高く曲進退の逸物(=前後左右に機敏に走りまわる馬)」に乗らせ筑摩川をさっと渡って、名乗をあげた.
・上野国高山党が300騎で襲いかかったが、笠原は85騎と共に散々に戦い、93騎が討ち取られ本陣にひいた。笠原は42騎になってしまったが、城氏はその働きを誉めた。 ・笠原は100騎ばかりをひきいて高山党と戦い、43騎に。高山党は300騎が50騎になった。
・次に上野国・西広助が50騎で川を渡ると、城氏方からは富部家俊が13騎と共に出てきて散々に戦った。西と富部が引き組んでもみ合いになったが、富部が討ち取られた。しかし富部の従者・杵淵が西を討ち取った。その様に両軍とも感嘆し一時休戦となった。
・しかしその頃、義仲の策を受けた井上光基が赤旗を掲げて城氏の背後に迫った。てっきり味方が来たと思った城氏が油断して引き入れようとすると、 突然赤旗をかなぐり捨てて白旗を揚げ「信濃国住人井上九郎光基」と名乗った。
・それを合図に義仲勢が1500余騎で川を渡り、声を合わせて北から南から攻め立てた。

・城氏はわずか300余騎を率いて越後に退いた。
・井上光基は「搦手はお任せ下さい」と申し出た。
・赤旗を作って星品党300騎を先にたてて駆け出させ、千曲川をうしとらの方向、城氏の後陣に歩ませた。
・義仲は「井上が搦手を渡りきったら、城氏を挟撃する。一騎も遅れるな!」 と檄を飛ばした。
・城氏は上田越えの味方が来たと勘違いし、「こちらに合流せず、義仲を攻めよ」と命じる。
・赤旗で偽装した井上氏は無視して城氏の陣前の堀すら超えて本陣にせまると、赤旗を捨てて白旗を揚げ、300騎で北から南へ駆け通った。
・それを合図に義仲の2000騎が南から北へ駆け通り、縦横無尽に城氏の軍勢は蹴散らされ、城氏は越後へ退いた
・七手は最初赤旗を掲げてそれぞれ違う峰からおりていく。


・城氏に味方が来たと喜ばせておいて、陣に近づき七手が一まとまりになったとき、赤旗を切り捨てさっと白旗を揚げて鬨を作る。

・それを見た越後勢が慌てて逃げ出した。


3地方史に残された様相→コチラ
3・まとめ

付記1・参考文献一覧
付記2・関連武士一覧

関連ページ→四天王戦記「横田河原合戦〜楯六郎」

初出/義仲戦記・壱(2002)
 
木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996