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横田河原合戦●横田河原合戦前記 ●文献に見る合戦1(史料・軍記) ●文献に見る合戦2(自治体誌) ●付記 |
1・横田河原合戦前記〜それまでの北信濃〜→コチラへ
1・史料に残る記述
2・軍記物による記述
●「井上氏の奇策」緒本対比表●
源平盛衰記 | 延慶本 | 覚一本 |
・義仲軍は兵100騎を一直線に並べて川をさっと渡り、西の河原へ北を向いて駆ける ・城軍は入れ替え入れ替え戦うが100騎がまとまって駆け立てるので2・3度引いた。 ・その様子を見て義仲軍はいったん川を戻り本陣へ ・城氏は笠原氏に「わずかの勢に大勢が3度も駆け散らかされるとは。ここは信濃で恨みを買っているお前が行って敵を蹴散らして見せよ」と命じ、笠原氏は自分の手勢300騎から85騎を選び出し「太く高く曲進退の逸物(=前後左右に機敏に走りまわる馬)」に乗らせ筑摩川をさっと渡って、名乗をあげた. | ||
・上野国高山党が300騎で襲いかかったが、笠原は85騎と共に散々に戦い、93騎が討ち取られ本陣にひいた。笠原は42騎になってしまったが、城氏はその働きを誉めた。 | ・笠原は100騎ばかりをひきいて高山党と戦い、43騎に。高山党は300騎が50騎になった。 | |
・次に上野国・西広助が50騎で川を渡ると、城氏方からは富部家俊が13騎と共に出てきて散々に戦った。西と富部が引き組んでもみ合いになったが、富部が討ち取られた。しかし富部の従者・杵淵が西を討ち取った。その様に両軍とも感嘆し一時休戦となった。 | ||
・しかしその頃、義仲の策を受けた井上光基が赤旗を掲げて城氏の背後に迫った。てっきり味方が来たと思った城氏が油断して引き入れようとすると、
突然赤旗をかなぐり捨てて白旗を揚げ「信濃国住人井上九郎光基」と名乗った。 ・それを合図に義仲勢が1500余騎で川を渡り、声を合わせて北から南から攻め立てた。 ・城氏はわずか300余騎を率いて越後に退いた。 |
・井上光基は「搦手はお任せ下さい」と申し出た。 ・赤旗を作って星品党300騎を先にたてて駆け出させ、千曲川をうしとらの方向、城氏の後陣に歩ませた。 ・義仲は「井上が搦手を渡りきったら、城氏を挟撃する。一騎も遅れるな!」 と檄を飛ばした。 ・城氏は上田越えの味方が来たと勘違いし、「こちらに合流せず、義仲を攻めよ」と命じる。 ・赤旗で偽装した井上氏は無視して城氏の陣前の堀すら超えて本陣にせまると、赤旗を捨てて白旗を揚げ、300騎で北から南へ駆け通った。 ・それを合図に義仲の2000騎が南から北へ駆け通り、縦横無尽に城氏の軍勢は蹴散らされ、城氏は越後へ退いた |
・七手は最初赤旗を掲げてそれぞれ違う峰からおりていく。 ・城氏に味方が来たと喜ばせておいて、陣に近づき七手が一まとまりになったとき、赤旗を切り捨てさっと白旗を揚げて鬨を作る。 ・それを見た越後勢が慌てて逃げ出した。 |