西川が行く 義仲ゆかりの地
●概説●紀行文

西川が出かけた「義仲ゆかりの地」ルポを時には文章で、時には漫画でお届けします。


●「今井兼平」を訪ねて大津へ

初出/木曽義仲の基礎知識武将編壱「今井兼平」



 大津での義仲復権の会・墓参総会に参加するにあたって、私は「総会の後、いくつかの史跡を見てこよう」と考えました。

 特に以前から気になっていた「今井四郎兼平」の史跡にしぼって訪問することに決め、墓参に参加されていたI さん、Aさんを誘って三人で巡ることにしました。

 浅井さんは「兼平の墓」に訪れた事があるそうで、タクシーでの道すがら、「この付近が粟津の松原だったのよ」と教えて下さいました。 しかし、淋しい事に松は道沿いに少し残っているだけでした。 タクシー運転手の方によると「以前は多くの松があったが、虫にやられてしまった」という事でした。  「兼平の墓」は地元でも有名で、道には看板もあり、路地裏の一角とはいえ、とてもよく整備されていました。人もあまり訪れない淋しいお墓を想像していたので、とても驚きました。 総会でごいっしょした会員の方々もいらっしゃっていて、兼平の話題に花が咲きました。

 その後私達は「鎧掛け松」に向かいました。その松はある工場の敷地内にあるため見られないかも知れないと聞いていたのですが、 工場の受付で事情を説明すると、快く見学させて下さいました。

「兼平が鎧をかけたと云われる程だから、樹齢何百年の立派な松だろう・・」と思って見てみると、工場内の道路脇に、 刈り込まれて手入れされた芝生の上に「今井兼平鎧掛け松」の石碑と、2メートル程の小さな松がぽつんとありました。 良く手入れされていたのはうれしかったのですが、当時を偲ぶ気分になれませんでした。

 気を取り直して、三つめのゆかりの地「兼平血染めのススキ」に向かいました。タクシーで山に向かって走っていくと、 景色が住宅地から手つかずの自然に変わっていきます。そして風にゆれるススキが目に飛び込んで来ました。 車を止め近づいて見てみると飛び散った血のような模様が残っていました。

伝承によれば、兼平が義仲の最期に奮戦し、飛び散った血が今でも染み込んでいると言う事です。 そして「ここが義仲と兼平が戦った所なのだ」と実感がやっと沸いてきました。

 810余年の歳月は残酷で、開発により松原の松も人家に変わり、義仲や兼平の痕跡を消してしまっていました。 そんな中で、今でも兼平の血を浴びたススキは、静かに大津を見おろす高台にゆれていたのが印象的でした。


今後イラスト追加予定


木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996