義仲軍勢ゆかりの地概 説
●概説●紀行文


義仲にまつわる各地の伝承を県別に考察・紹介します。
概説

●長野県
「木曽」義仲と言うぐらいだからゆかりの地は数え切れないほど、県内各地に散らばっている。特に多いのは、日義村(義仲の本拠地)・松本市(当時の国府所在地で養父・中原兼遠の活動拠点)・佐久市(根井行親の本拠地)などだが、長野市や上田市など一見関係が薄そうなところにまで点在している。

●新潟県
義仲は横田河原合戦で越後の城氏を討った後、国境の関山を通って越後国府に入った。そのため上越市など新潟県西部に兼平関連のゆかりの地が多く見られる。また、子孫伝承も多い。

●富山県
越後との国境に領地を持つ、越中の武将・宮崎氏は以仁王の子「北陸宮」を匿っていたため、義仲と特に関係が深かった。現在その付近は朝日町という。
また富山県と石川県の県境・倶利伽羅峠は合戦の場となったため、覚明や巴・葵にまつわるゆかりの地がある。

●石川県
平家物語でも有名な篠原古戦場がある。戦場になった安宅では98年に義仲町が誕生した。

●福井県
義仲の北陸進出の拠点?だったのか福井市・鯖江市周辺に義仲にまつわるゆかりの地が点在する。

●滋賀県
北陸から都への入り口であり、また出口でもある。義仲は希望に満ち溢れてこの地を通り京へ入り、すべてを失ってここで果てた。

●岡山県
水島合戦の地。

●京都府
山吹に関する伝承が残る。義仲の首塚がある。

●埼玉県
義仲が嵐山で誕生し、義仲の子・義高は狭山で果てている。そのためゆかりの地は数多い。

●岐阜県
木曽は岐阜と接しているためゆかりの地は数多い。子孫伝承も今井氏を中心に多い。

●群馬県
義仲敗死後、四天王の一族が逃がれている。子孫の伝承が多い。

●愛媛県
義仲の子孫がいる。


今後各県ごとに詳細情報をまとめて発表予定


木曽義仲の基礎知識/kaori-nishikawa1996