楯六郎
【タテ ロクロウ/?年〜1184年没】
根井行親の六男。埼玉との県境に館を構える。郷土史家により伝承などが調べられているが、残念ながら平家物語ではほとんど出番がない。源平盛衰記によれば、横田河原・倶利伽羅・安宅・法住寺の合戦で活躍しているがその実像ははっきりしない。
生い立ち
根井行親の六男として生まれる。行親は開拓した土地に自分の息子達をそれぞれ住まわせ、楯六郎は埼玉県との県境・南佐久郡佐久町付近に屋敷を構えた。ここは埼玉方面からの交通の要地で、六郎に寄せられた期待のほどが伺われる。
源平合戦での活躍
義仲軍の初陣である「横田河原の合戦」では自ら偵察役をかって出て、義仲軍に勝利をもたらした。
その後も倶利伽羅合戦などの北陸緒戦、法住寺合戦などに名が見える。
義仲の死後と子孫
義仲敗死後、根井行親の妻が群馬に逃げた際同行したと見られるが、詳しいことは分かっていない。
別項→
参考文献→「楯六郎と矢田義清」
関連事項
→古典芸能/歌舞伎・文楽「加賀篠原合戦」
→戦記/四天王戦記 「楯六郎」